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繋駕速歩競走 - Wikipedia

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繋駕速歩競走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本来の表記は「繫駕速歩競走」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。


繋駕速歩競走の練習
繋駕速歩競走(けいがそくほきょうそう、けいがはやあしきょうそう)は競馬競走の一種である。略して「繋速」(けいはや)とも呼ばれる[1]
これは騎手競走馬の後にある繋駕車(一人乗りの2輪馬車)に乗ってレースをするもの。平地競走と違い、騎手はジョッキーではなくドライバーと呼ばれ、サラブレッドではなくスタンダードブレッドを初めとしたトロッターが競走馬として使用される。発祥は古代の戦車競走に由来する。
目次
1 競走の種別
2 各国の状況
2.1 日本
2.2 北米
2.3 オセアニア
2.4 ヨーロッパ
3 出典
4 関連項目
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競走の種別

繋駕速歩競走では、歩調によってトロット(Trot、斜対歩)とペース(Pace、側対歩)の2種類に分かれ、トロットで競走する馬をトロッター、ペースで競走する馬をペーサーと呼ぶ。それぞれ走り方によって調教が分かれ、同一馬が両方の競走に出ることはない。トロッターは右前足と左後ろ足を同時に地に着け、次のタイミングで左前足と右後ろ足を地に着ける。一方ペーサーは右前・後肢と左前・後肢とが対になって動く。歩調によって出走するレースも区別されている。いずれの競走においても、駆歩(かけあし)など違法走法のチェックは厳しい。一部のヨーロッパの国ではトロットのみが実施されているが、イギリスカナダアメリカオーストラリアニュージーランドではトロッターとペーサーの両方が行われている。
スタンダードブレッドはサラブレッドよりも足は短く、胴が長い。気性が穏やかなためレースではより幅広い戦術をとりやすい。ドライバーは長く軽い鞭を持ち、繋駕車のシャフトで叩き音を立てることで馬に合図を送る。

各国の状況

日本


戦前の繋駕速歩競走(中山競馬場)
日本では、大正時代に戦場で車両を引く軍馬育成のために奨励され、日本競馬会が開催した競馬において、数多くのレースが実施された。また、かつて兵庫県にあった鳴尾速歩競馬会では、短期間ながらも専門の競走を開催した事もあった。またこの当時は、繋駕速歩競走だけでなく、騎乗速歩競走も存在していた(日本競馬会では、函館競馬場札幌競馬場でのみ行われていた)。
戦前の繋駕速歩競走では、距離は4000m以上の競走が殆どであり、出走頭数も20頭以上がざらであった。馬の資源については、トロッター種は数が少なく、殆どがトロッター種やスタンダードブレッド種と、その他の種を掛け合わせた馬が大半を占めていた。
太平洋戦争終結後、かつての日本競馬会から運営を引き継いだ国営競馬ではしばらく開催されなかったが、競走馬資源が充分ではない状況から、レース数確保の為に繋駕速歩競走を復活する事となった。しかしながら、比較的競走馬の頭数に恵まれていた関東地区では、関係者が速歩競走の復活に消極的であったため、より競走馬の頭数が少ない関西地区でのみ、競走が行われる事となった。
一方、軍馬育成という目的があった戦前と比べて、繋駕速歩競走に適したスタンダードブレッド種などの生産数は減少しており、また長年改良も行われていなかった為、競走馬それぞれの能力差は大きかった。そこで、白井新平などの関係者により、将来的には繁殖入りする事による馬種改良を目的として、アメリカからトロッター種の競走馬を輸入した他、出走馬の能力差が少ない海外の速歩競走では一般的な、モービルスターティングゲートも使用される様になった。この頃、首都圏に繋駕速歩競走専用競馬場の設置が検討されたが、これは日の目を見なかった。
一時期の関西地区の中央競馬を支えていた繋駕速歩競走であったが、軽種馬、特にサラブレッドの生産頭数が増加し、1競走あたりの出走頭数や競走数が増加してくると、平地競走と同じ馬場を使用する事による馬場の傷みが無視できなくなり、またレース自体がスピード感に乏しいなどの理由もあって、主催者・ファンの双方から、次第に興味が失われていった。そこで、日本中央競馬会では、1965年以降の繋駕速歩競走を、阪神競馬場京都競馬場での開催を止めて、ローカル開催の競馬場のダートコースで行う事に変更した。その結果、関東地区の新潟競馬場でも、繋駕速歩競走が行われる様になった。
しかしながら、既に廃止の方向が決定していた事もあって、関係者や生産者団体との調整がほぼ終了した1968年12月、中京競馬場で行われた競走を最後に、中央競馬での繋駕速歩競走は終了した。
一方地方競馬では、戦後すぐに繋駕および騎乗速歩競走が復活し、重要な地位を占めたが、中央競馬での繋駕速歩競走の衰退及び廃止によって、馬資源の確保が難しくなった為、1971年6月に盛岡競馬場で行われた競走を最後に廃止された。それ以後、日本国内での馬券発売を伴う競走は行われていない。

出典:Wikipedia

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